日本にプロ野球が誕生してから、毎年タイトル争いが繰り広げられますが、中でも首位打者は日々の安打の積み重ねで獲得できるため、簡単な記録ではありません。
また、首位打者を獲得しても、翌年には大きく成績を落としたりする選手もいて、タイトルを獲得するには実力だけでなく、運も必要だという事が分かります。
今回、NPBの歴代首位打者をセ・リーグ、パ・リーグの年代別に分けてまとめたのと、球団別での獲得数をまとめてみました。
首位打者とは
おさらいも込めてですが、NPBの首位打者とは「規定打席に達した打者の中で、打率が最も高い選手に与えられるタイトル」の事を指します。
規定打席は、所属球団の試合数 × 3.1で計算され、打撃ランキングの参考にするために必要な打席数を言います。
首位打者は、本塁打王、打点王と合わせて打撃タイトルの最高タイトルと位置づけられていて、3つのタイトルを獲得した選手を「三冠王」と呼びます。
他に、最高出塁率も主要打撃タイトルの一つとして表彰されています。
歴代の首位打者
それでは歴代のNPB首位打者を紹介していきたいと思いますが、膨大なデータになるので、年代を負って紹介していきます。
歴代の首位打者 1リーグ時代
まずは1リーグ制の首位打者は
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1936秋 | 中根 之 | .376 | 名古屋 |
1937春 | 松木 謙治郎 | .338 | タイガース |
1937秋 | 景浦 将 | .333 | タイガース |
1938春 | 中島 治康 | .345 | 巨人 |
1938秋 | 中島 治康 | .361 | 巨人 |
1939 | 川上 哲治 | .338 | 巨人 |
1940 | 鬼頭 数男 | .321 | ライオン |
1941 | 川上 哲治 | .310 | 巨人 |
1942 | 呉 波 | .286 | 巨人 |
1943 | 呉 昌征 | .300 | 巨人 |
1944 | 岡村 俊昭 | .369 | 近畿日本 |
1946 | 金田 正泰 | .347 | 阪神 |
1947 | 大下 弘 | .315 | 東急 |
1948 | 青田 昇 | .306 | 巨人 |
1949 | 小鶴 真 | .361 | 大映 |
戦前、戦後のプロ野球で、巨人の選手に首位打者が多いですが、球団別の獲得数を見ると
巨人 | 7回 |
タイガース | 2回 |
ライオン | 1回 |
近畿日本 | 1回 |
阪神 | 1回 |
東急 | 1回 |
大映 | 1回 |
となっています。
複数回の獲得選手は
- 中島治康 2回
- 川上哲治 2回
とそれぞれ巨人の選手が獲得しています。
歴代の首位打者 1950年代 セ・リーグ編
続いて、1950年代のセ・リーグの首位打者ですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1950 | 藤村 富美男 | .362 | 大阪 |
1951 | 川上 哲治 | .377 | 巨人 |
1952 | 西沢 道夫 | .353 | 名古屋 |
1953 | 川上 哲治 | .347 | 巨人 |
1954 | 与那嶺 要 | .361 | 巨人 |
1955 | 川上 哲治 | .338 | 巨人 |
1956 | 与那嶺 要 | .338 | 巨人 |
1957 | 与那嶺 要 | .343 | 巨人 |
1958 | 田宮 謙次郎 | .320 | 大阪 |
1959 | 長嶋 茂雄 | .334 | 巨人 |
1950年代は、巨人の川上氏、与那覇氏が首位打者を独占する時代で、球団別で獲得回数をまとめても
巨人 | 7回 |
大阪 | 2回 |
名古屋 | 1回 |
となっています。
1959年には、長嶋茂雄終身名誉監督の名前が出てくるようになり、巨人V9時代へと突入する中で、巨人の主軸を担っていた事も分かります。
この時代までの複数獲得選手は、
- 中島治康 2回
- 川上哲治 5回
- 与那覇要 3回
の3名です。
歴代の首位打者 1950年代 パ・リーグ編
続いて、1950年のパ・リーグの首位打者をまとめますと、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1950 | 大下 弘 | .339 | 東急 |
1951 | 大下 弘 | .383 | 東急 |
1952 | 飯島 滋弥 | .336 | 大映 |
1953 | 岡本 伊三美 | .318 | 南海 |
1954 | レインズ | .337 | 阪急 |
1955 | 中西 太 | .332 | 西鉄 |
1956 | 豊田 泰光 | .325 | 西鉄 |
1957 | 山内 和弘 | .331 | 毎日 |
1958 | 中西 太 | .323 | 西鉄 |
1959 | 杉山 光平 | .323 | 南海 |
パ・リーグは西鉄と南海を中心に首位打者争いが繰り広げられていますが、怪童と呼ばれた中西太氏の名前も出てきています。
球団別の獲得回数ですが、
西鉄 | 3回 |
南海 | 2回 |
東急 | 2回 |
毎日 | 1回 |
大映 | 1回 |
ですが、1951年の大下弘氏の打率.383は張本勲氏が後に記録を破るまで、最高打率として記録されていました。
この時代までの複数獲得選手ですが、
- 大下弘 2回
- 中西太 2回
です。
歴代の首位打者 1960年代 セ・リーグ編
時代が進み、1960年代のセ・リーグの首位打者ですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1960 | 長嶋 茂雄 | .334 | 巨人 |
1961 | 長嶋 茂雄 | .353 | 巨人 |
1962 | 森永 勝治 | .307 | 巨人 |
1963 | 長嶋 茂雄 | .341 | 巨人 |
1964 | 江藤 愼一 | .323 | 中日 |
1965 | 江藤 愼一 | .336 | 中日 |
1966 | 長嶋 茂雄 | .344 | 巨人 |
1967 | 中 暁生 | .343 | 中日 |
1968 | 王 貞治 | .326 | 巨人 |
1969 | 王 貞治 | .345 | 巨人 |
1960年代は、巨人の長嶋茂雄氏が1959年から3年連続首位打者、中日の江藤慎一氏の二年連続、巨人の王貞治氏の2年連続(1970年も首位打者なので3年連続)と選手が絞れられます。
球団別の獲得数ですが、
巨人 | 7回 |
中日 | 3回 |
と2球団での争いになります。
この時代までの首位打者の複数獲得選手は、
- 中島治康 2回
- 川上哲治 5回
- 与那覇要 3回
- 長嶋茂雄 5回
- 江藤慎一 2回
- 王貞治 2回
となります。
歴代の首位打者 1960年代 パ・リーグ編
続いて、1960年代のパ・リーグ首位打者ですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1960 | 榎本 喜八 | .344 | 大毎 |
1961 | 張本 勲 | .336 | 東映 |
1962 | ブルーム | .374 | 近鉄 |
1963 | ブルーム | .335 | 近鉄 |
1964 | 広瀬 叔功 | .366 | 南海 |
1965 | 野村 克也 | .320 | 南海 |
1966 | 榎本 喜八 | .351 | 東京 |
1967 | 張本 勲 | .336 | 東映 |
1968 | 張本 勲 | .336 | 東映 |
1969 | 張本 勲 | .333 | 東映 |
1960年のパ・リーグは、複数獲得選手が多数現れますが、どの選手も球史に名を刻むレジェンドばかりです。
また、1965年野村克也氏は「三冠王」を獲得していますので、パ・リーグの群雄割拠時代と言っても良いかと思います。
【追悼】ノムさんこと野村克也氏が死去、ノムさんの成績や名言をまとめました。
また、サンデーモーニングの喝で知られる張本勲氏は、1967年から3年連続で首位打者を獲得し、その後巨人入りする事になります。
球団別の獲得回数ですが、
東映 | 4回 |
南海 | 2回 |
近鉄 | 2回 |
大毎 | 1回 |
東京 | 1回 |
となっています。
また、この時代までの複数獲得選手は、
- 大下弘 2回
- 中西太 2回
- 榎本喜八 2回
- ブルーム 2回
- 張本勲 4回
です。
歴代の首位打者 1970年代 セ・リーグ編
次に、1970年代のセ・リーグ首位打者をまとめますと、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1970 | 王 貞治 | .325 | 巨人 |
1971 | 長嶋 茂雄 | .320 | 巨人 |
1972 | 若松 勉 | .329 | ヤクルト |
1973 | 王 貞治 | .355 | 巨人 |
1974 | 王 貞治 | .332 | 巨人 |
1975 | 山本 浩二 | .319 | 広島 |
1976 | 谷沢 健一 | .355 | 中日 |
1977 | 若松 勉 | .358 | ヤクルト |
1978 | 水谷 実雄 | .348 | 広島 |
1979 | F・ミヤーン | .346 | 横浜 |
1970年も人材の宝庫で、前半は王貞治氏の全盛期で、1973年、1974年には「三冠王」を獲得しています。
また、近年監督を務めてきた、若松勉氏や山本浩二氏が活躍したのも1970年代ですが、当時は王さんに首位打者を取らせまいと、熾烈な争いがあったんだろうと想像出来ますね。
球団別の獲得数ですが、
巨人 | 4回 |
ヤクルト | 2回 |
広島 | 2回 |
中日 | 1回 |
横浜 | 1回 |
巨人以外の球団でも首位打者を獲得する球団が出てきていますが、巨人も首位打者獲得は長嶋氏か王氏だけですので、逆を言えば人材難の時代に突入していたと言えます。
1974年に長嶋茂雄氏が引退、1980年に王貞治氏が引退と続き、巨人も新時代へと突入していきます。
この時代までの複数獲得選手は、
- 中島治康 2回
- 川上哲治 5回
- 与那覇要 3回
- 長嶋茂雄 6回
- 江藤慎一 2回
- 王貞治 5回
- 若松勉 2回
です。
歴代の首位打者 1970年代 パ・リーグ編
次に、1970年代のパ・リーグ首位打者のまとめですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1970 | 張本 勲 | .383 | 東映 |
1971 | 江藤 愼一 | .337 | ロッテ |
1972 | 張本 勲 | .358 | 東映 |
1973 | 加藤 秀司 | .337 | 阪急 |
1974 | 張本 勲 | .340 | 日本ハム |
1975 | 白 仁天 | .319 | 太平洋 |
1976 | 吉岡 悟 | .309 | 太平洋 |
1977 | 有藤 道世 | .329 | ロッテ |
1978 | 佐々木 恭介 | .354 | 近鉄 |
1979 | 加藤 英司 | .364 | 阪急 |
張本勲氏は1969年から3年連続で首位打者を獲得、1970年には打率.383をマークし、イチローに破られるまでの日本人歴代最高打率となっていました。
(日本のプロ野球では1985年のランディーバース氏の.389です。)
1970年代後半になると、野球解説者やコーチでも活躍していた佐々木恭介氏や加藤英司氏の名前も出てくるようになってきました。
球団別の獲得数ですが、
東映 | 2回 |
阪急 | 2回 |
太平洋 | 2回 |
ロッテ | 2回 |
日本ハム | 1回 |
近鉄 | 1回 |
です。
この時代までの複数獲得者ですが、
- 大下弘 2回
- 中西太 2回
- 榎本喜八 2回
- ブルーム 2回
- 張本勲 7回
- 江藤慎一 3回(セパ両リーグでの快挙)
です。
歴代の首位打者 1980年代 セ・リーグ編
続いて、1980年代のセ・リーグ首位打者のまとめですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1980 | 谷沢 健一 | .369 | 中日 |
1981 | 藤田 平 | .358 | 阪神 |
1982 | 長崎 啓二 | .351 | 横浜 |
1983 | 真弓 明信 | .353 | 阪神 |
1984 | 篠塚 利夫 | .334 | 巨人 |
1985 | バース | .350 | 阪神 |
1986 | バース | .389 | 阪神 |
1987 | 正田 耕三 | .333 | 広島 |
1987 | 篠塚 利夫 | .333 | 巨人 |
1988 | 正田 耕三 | .340 | 広島 |
1989 | クロマティ | .378 | 巨人 |
巨人の王貞治氏が1980年に引退し、新戦力が続々と出てくる中、阪神全盛期と呼んでも良い1980年中頃にはランディーバース選手が大活躍、1984年、1985年と二年連続で「三冠王」を獲得しています。
球団別の獲得数ですが、
阪神 | 4回 |
巨人 | 3回 |
広島 | 2回 |
横浜 | 1回 |
中日 | 1回 |
となっています。
この時代までの、首位打者複数回数の獲得者ですが、
- 中島治康 2回
- 川上哲治 5回
- 与那覇要 3回
- 長嶋茂雄 6回
- 江藤慎一 2回
- 王貞治 5回
- 若松勉 2回
- 谷沢健一 2回
- 篠塚和典 2回
- ランディーバース 2回
- 正田耕三 2回
です。
歴代の首位打者 1980年代 パ・リーグ編
次に、1980年代のパ・リーグ首位打者のまとめですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1980 | レロン・リー | .358 | ロッテ |
1981 | 落合 博満 | .326 | ロッテ |
1982 | 落合 博満 | .325 | ロッテ |
1983 | 落合 博満 | .332 | ロッテ |
1984 | ブーマー | .355 | 阪急 |
1985 | 落合 博満 | .367 | ロッテ |
1986 | 落合 博満 | .360 | ロッテ |
1987 | 新井 宏昌 | .366 | 近鉄 |
1988 | 高沢 秀昭 | .327 | ロッテ |
1989 | ブーマー | .322 | オリックス |
1980年代のパ・リーグは、まさに落合博満一色です。1982年、1985年、1986年は「三冠王」を獲得、さらに1984年のブーマー選手も三冠王に輝くなど、ロッテ全盛期の時代ですがチーム順位は
1980年 | 2位 |
1981年 | 3位 |
1982年 | 5位 |
1983年 | 6位 |
1984年 | 2位 |
1985年 | 2位 |
1986年 | 4位 |
1987年 | 5位 |
1988年 | 6位 |
1989年 | 6位 |
とチーム成績に影響するほどではなかったようです。
また、球団別の首位打者獲得回数ですが、
ロッテ | 7回 |
近鉄 | 1回 |
オリックス | 1回 |
阪急 | 1回 |
と、ロッテというより落合博満氏が一人でほぼ獲得です・・汗
さらに、この時代までの複数獲得選手ですが、
- 大下弘 2回
- 中西太 2回
- 榎本喜八 2回
- ブルーム 2回
- 張本勲 7回
- 江藤慎一 3回(セパ両リーグでの快挙)
- ブーマー 2回
- 落合博満 5回
です。
歴代の首位打者 1990年代 セ・リーグ編
続いて、1990年代のセ・リーグ首位打者のまとめですが、
1990 | J・パチョレック | .326 | 横浜 |
1991 | 古田 敦也 | .340 | ヤクルト |
1992 | ハウエル | .331 | ヤクルト |
1993 | オマリー | .329 | 阪神 |
1994 | パウエル | .324 | 中日 |
1995 | パウエル | .355 | 中日 |
1996 | パウエル | .340 | 中日 |
1997 | 鈴木 尚典 | .335 | 横浜 |
1998 | 鈴木 尚典 | .337 | 横浜 |
1999 | ローズ | .369 | 横浜 |
1990年代は中日ドラゴンズは星野仙一氏と高木守道氏が監督を務め、横浜ベイスターズはマシンガン打線を形成した権藤博氏が監督を務めており、素晴らしいチームを作り上げていました。
それぞれの球団別の獲得数ですが、
横浜 | 4回 |
中日 | 3回 |
ヤクルト | 2回 |
阪神 | 1回 |
と、ついに巨人から首位打者の名前が消えたのも1990年代の特徴かも知れません。
この時代までの、首位打者複数回数の獲得者ですが、
- 中島治康 2回
- 川上哲治 5回
- 与那覇要 3回
- 長嶋茂雄 6回
- 江藤慎一 2回
- 王貞治 5回
- 若松勉 2回
- 谷沢健一 2回
- 篠塚和典 2回
- ランディーバース 2回
- 正田耕三 2回
- パウエル 3回
- 鈴木尚典 2回
です。
歴代の首位打者 1990年代 パ・リーグ編
続いて、1990年代のパ・リーグ首位打者のまとめですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
1990 | 西村 徳文 | .338 | ロッテ |
1991 | 平井 光親 | .314 | ロッテ |
1992 | 佐々木 誠 | .322 | ダイエー |
1993 | 辻 発彦 | .319 | 西武 |
1994 | イチロー | .385 | オリックス |
1995 | イチロー | .342 | オリックス |
1996 | イチロー | .356 | オリックス |
1997 | イチロー | .345 | オリックス |
1998 | イチロー | .358 | オリックス |
1999 | イチロー | .343 | オリックス |
イチローの登場で、オリックス一色になってきました、特に1994年は.385の打率をマークし、日本人最高打率として現在も歴代最高打率、210本の安打数はマートン選手に抜かれるまで日本最多安打数でした。
球団別の獲得数ですが、
オリックス | 6回 |
ロッテ | 2回 |
ダイエー | 1回 |
近鉄 | 1回 |
となり、この時代までの複数獲得選手ですが、
- 大下弘 2回
- 中西太 2回
- 榎本喜八 2回
- ブルーム 2回
- 張本勲 7回
- 江藤慎一 3回(セパ両リーグでの快挙)
- ブーマー 2回
- 落合博満 5回
- イチロー6回
となっています。
歴代の首位打者 2000年代 セ・リーグ編
時代は変わり、2000年代のセ・リーグ首位打者のまとめですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
2000 | 金城 龍彦 | .346 | 横浜 |
2001 | 松井 秀喜 | .333 | 巨人 |
2002 | 福留 孝介 | .343 | 中日 |
2003 | 今岡 誠 | .340 | 阪神 |
2004 | 嶋 重宣 | .337 | 広島 |
2005 | 青木 宣親 | .344 | ヤクルト |
2006 | 福留 孝介 | .351 | 中日 |
2007 | 青木 宣親 | .346 | ヤクルト |
2008 | 内川 聖一 | .378 | 横浜 |
2009 | ラミレス | .322 | 巨人 |
今も現役で活躍している、福留孝介選手、内川聖一選手、青木宣親選手といった面々も登場、松井秀喜氏も初の首位打者を獲得していますが、過去3度三冠王のチャンスがあった中で、二冠王は3度と、首位打者がもっとも難しかったようです。
本人も三冠王に最も近い男と言われながら、「野球は難しいね」とコメントしているように、首位打者タイトルがいかに難しいかを物語っていますね。
球団別のタイトル獲得数ですが、
巨人 | 2回 |
ヤクルト | 2回 |
横浜 | 2回 |
中日 | 2回 |
広島 | 1回 |
阪神 | 1回 |
と6球団全てで首位打者が誕生しているのも2000年代の特徴です。
この時代までの、首位打者複数回数の獲得者ですが、
- 中島治康 2回
- 川上哲治 5回
- 与那覇要 3回
- 長嶋茂雄 6回
- 江藤慎一 2回
- 王貞治 5回
- 若松勉 2回
- 谷沢健一 2回
- 篠塚和典 2回
- ランディーバース 2回
- 正田耕三 2回
- パウエル 3回
- 鈴木尚典 2回
- 福留孝介 2回
- 青木宣親 2回
です。
歴代の首位打者 2000年代 パ・リーグ編
続いて、1990年代のパ・リーグ首位打者のまとめですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
2000 | イチロー | .387 | オリックス |
2001 | 福浦 和也 | .346 | ロッテ |
2002 | 小笠原 道大 | .340 | 日本ハム |
2003 | 小笠原 道大 | .360 | 日本ハム |
2004 | 松中 信彦 | .358 | ダイエー |
2005 | 和田 一浩 | .322 | 西武 |
2006 | 松中 信彦 | 0324 | ソフトバンクホークス |
2007 | 稲葉 篤紀 | .334 | 日本ハム |
2008 | リック | .332 | 楽天 |
2009 | 鉄平 | .327 | 楽天 |
イチローの大リーグ移籍に伴い、新しい選手が台頭していますが、2004年の松中信彦氏は「三冠王」を獲得し、現在最後の三冠王選手となっています。
松中氏は2006年に首位打者を獲得した際に、当時最高年数の7年契約を結んでいますが、この後に成績は急下降しています。
球団再編で2005年より発足した楽天イーグルスですが、2008年には球団初の首位打者が誕生したり、戦力差が徐々に埋まってきたのも、2000年代後半の事です。
球団別の首位打者獲得数は、
日本ハム | 3回 |
楽天 | 2回 |
ロッテ | 1回 |
西武 | 1回 |
オリックス | 1回 |
ダイエー | 1回 |
ソフトバンクホークス | 1回 |
と各球団から首位打者が生まれています。
この時代までの複数獲得選手ですが、
- 大下弘 2回
- 中西太 2回
- 榎本喜八 2回
- ブルーム 2回
- 張本勲 7回
- 江藤慎一 3回(セパ両リーグでの快挙)
- ブーマー 2回
- 落合博満 5回
- イチロー7回
- 小笠原道大 2回
- 松中信彦 2回
となっています。
歴代の首位打者 2010年代 セ・リーグ編
最後に、2010年代のセ・リーグ首位打者のまとめですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
2010 | 青木 宣親 | .358 | ヤクルト |
2011 | 長野 久義 | .316 | 巨人 |
2012 | 阿部 慎之助 | .340 | 巨人 |
2013 | ブランコ | .333 | 横浜DeNA |
2014 | マートン | .338 | 阪神 |
2015 | 川端慎吾 | .336 | ヤクルト |
2016 | 坂本勇人 | .344 | 巨人 |
2017 | 宮崎敏郎 | .323 | 横浜DeNA |
2018 | ビシエド | .348 | 中日 |
2019 | 鈴木誠也 | .335 | 広島 |
と2010年前半は、各球団優勝のキーマンが首位打者を獲得する傾向が見られましたが、2010年後半はチームの優勝に結びついてませんが、高いパフォーマンスを毎年維持している選手ばかりが台頭してきています。
球団別の首位打者の獲得回数ですが、
巨人 | 3回 |
ヤクルト | 2回 |
横浜DeNA | 2回 |
広島 | 1回 |
中日 | 1回 |
阪神 | 1回 |
となっています。
この時代までの、首位打者複数回数の獲得者ですが、
- 中島治康 2回
- 川上哲治 5回
- 与那覇要 3回
- 長嶋茂雄 6回
- 江藤慎一 2回
- 王貞治 5回
- 若松勉 2回
- 谷沢健一 2回
- 篠塚和典 2回
- ランディーバース 2回
- 正田耕三 2回
- パウエル 3回
- 鈴木尚典 2回
- 福留孝介 2回
- 青木宣親 3回
となりました。
歴代の首位打者 2010年代 パ・リーグ編
最後に、2010年代のパ・リーグ首位打者のまとめですが、
選手名 | 打率 | 所属先 | |
2010 | 西岡 剛 | .346 | ロッテ |
2011 | 内川 聖一 | .338 | ソフトバンクホークス |
2012 | 角中 勝也 | .312 | ロッテ |
2013 | 長谷川 勇也 | .341 | ソフトバンクホークス |
2014 | 糸井 嘉男 | .331 | オリックス |
2015 | 柳田悠岐 | .363 | ソフトバンクホークス |
2016 | 角中勝也 | .339 | ロッテ |
2017 | 秋山翔吾 | .322 | 西武 |
2018 | 柳田悠岐 | .352 | ソフトバンクホークス |
2019 | 森友哉 | .329 | 西武 |
セパ両リーグで首位打者を獲得した内川聖一選手はじめ、柳田選手や森選手のような若い選手まで台頭し、新時代の到来が顕著なのがパ・リーグです。
また、独立リーグ出身初の首位打者を獲得した角中選手は2度首位打者に輝いており、今ではチームの顔として活躍しています。
球団別の首位打者獲得回数ですが、
ソフトバンクホークス | 4回 |
ロッテ | 3回 |
西武 | 2回 |
オリックス | 1回 |
と常勝ソフトバンクホークスを支えるタイトルホルダーがズラリです。
この時代までの複数獲得選手ですが、
- 大下弘 2回
- 中西太 2回
- 榎本喜八 2回
- ブルーム 2回
- 張本勲 7回
- 江藤慎一 3回(セパ両リーグでの快挙)
- ブーマー 2回
- 落合博満 5回
- イチロー7回
- 小笠原道大 2回
- 松中信彦 2回
- 内川聖一 2回(セパ両リーグでの快挙)
- 角中勝也 2回
- 柳田悠岐 2回
となりました。
歴代の首位打者獲得回数別のランキング
ここまでセパ両リーグの歴代首位打者を年度別にまとめてきましたが、最後に首位打者獲得回数の歴代ランキングを取りまとめて終わります。
選手名 | 回数 | |
1位 | イチロー | 7回 |
張本勲 | 7回 | |
3位 | 長嶋茂雄 | 6回 |
4位 | 川上哲治 | 5回 |
王貞治 | 5回 | |
落合博満 | 5回 | |
7位 | 与那覇要 | 3回 |
江藤慎一 | 3回(セパ両リーグでの快挙) | |
パウエル | 3回 | |
青木宣親 | 3回 | |
11位 | 中島治康 | 2回 |
大下弘 | 2回 | |
中西太 | 2回 | |
榎本喜八 | 2回 | |
若松勉 | 2回 | |
ブーマー | 2回 | |
谷沢健一 | 2回 | |
篠塚和典 | 2回 | |
鈴木尚典 | 2回 | |
小笠原道大 | 2回 | |
松中信彦 | 2回 | |
内川聖一 | 2回(セパ両リーグでの快挙) | |
角中勝也 | 2回 | |
福留孝介 | 2回 | |
柳田悠岐 | 2回 |
となりました。
これからもたくさんの首位打者が排出され、中には三冠王を獲得する選手も出てくるはずですが、ファンを喜ばせてくれる一打をいつも期待したいと思います。
以上、今回はNPBの歴代首位打者のまとめになります、参考になれば幸いです。
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