これから数日は、自己紹介交えて、プロ野球や読売ジャイアンツのファンになった経緯を紐解いていこうと思います。
少しだけお付き合い頂けると幸いです。
読売ジャイアンツは子供心にも残っています
2019年現在、たーくんは40歳を迎えます。
私の幼少期の話ですが、阪神タイガースが最強でした。
一番に真弓、三番から掛布、バース、岡田・・と並ぶ驚異のニューダイナマイト打線と呼ばれた吉田義男監督が率いて日本一に輝いた時で、プロ野球チップスやプロ野球カードが大流行していた頃でもありました。
また、小学生にあがると、かっとばせ!キヨハラくんという漫画が大流行して、KKコンビがプロ野球を席巻している時代でもありました。
1980年代は、巨人を中心としたセ・リーグはテレビ視聴率も歴代最高を叩き出し、またパ・リーグも西武ライオンズを中心に人気を博していた時代でした。
そんな中で、巨人はというと、巨人軍最強の助っ人と言われているウォーレン・クロマティ、現監督の原辰徳、駒田徳広、吉村禎章、中畑清、篠塚利夫・・投手では江川卓、桑田真澄、ガリクソン、西本聖・・・
と往年の名選手が多く在籍し、現在の監督やコーチと主要ポストを務めている面々が多い印象ですが、名前はよく知っていますが、あまり巨人の事を好きになれませんでした・・・
理由は、
「私が、大阪に住んでいたから」
という理由が一番で、父の影響で巨人戦をテレビでよく見てはいたものの、学校に行けば阪神タイガースファンの友だちばかり・・
という事で、おおやけに巨人ファンだと公言できず、むしろ友だちとも野球の話をするのが気まずかったという事もあり、当時は野球に対しての熱はあまり持つことはありませんでした。
ちなみに、1980年代の巨人の開幕スタメンは・・・
先程、一部の選手名を挙げていますが、1980年代の巨人は、人財の宝庫です。
実際に開幕スタメンを見てみると、
1980年 1(中) 松本匡史、2(二) 篠塚利夫、3(左) ホワイト、4(一) 王貞治、5(右) 淡口憲治、6(三) 中畑清、7(捕) 山倉和博、8(遊) 河埜和正
1981年 1(遊) 河埜和正、2(左) 淡口憲治、3(二) 篠塚利夫、4(一) 中畑清、5(中) ホワイト、6(三) 原辰徳、7(右) トマソン、8(捕) 山倉和博
1982年 1(中) 松本匡史、2(遊) 河埜和正、3(二) 篠塚利夫、4(一) 中畑清、5(三) 原辰徳、6(左) ホワイト、7(右) 淡口憲治、8(捕) 山倉和博
1983年 1(中) 松本匡史、2(遊) 河埜和正、3(二) 篠塚利夫、4(三) 原辰徳、5(右) スミス、6(左) 淡口憲治、7(一) 中畑清、8(捕) 山倉和博
1984年 1(左) 松本匡史、2(遊) 篠塚利夫、3(中) クロマティ、4(一) 中畑清、5(右) スミス、6(三) 原辰徳、7(遊) 河埜和正、8(捕) 山倉和博
1985年 1(左) 松本匡史、2(二) 篠塚利夫、3(中) クロマティ、4(三) 原辰徳、5(一) 中畑清、6(右) 吉村禎章、7(捕) 山倉和博、8(遊) 岡崎郁
1986年 1(左) 松本匡史、2(二) 篠塚利夫、3(中) クロマティ、4(三) 原辰徳、5(右) 吉村禎章
6(一) 中畑清、7(遊) 岡崎郁、8(捕) 山倉和博
1987年 1(左) 松本匡史、2(遊) 鴻野淳基、3(二) 篠塚利夫、4(三) 原辰徳、5(中) クロマティ、6(右) 吉村禎章、7(一) 中畑清、8(捕) 山倉和博
1988年 1(左) 蓑田浩二、2(遊) 岡崎郁、3(二) 篠塚利夫、4(三) 原辰徳、5(右) 呂明賜、6(中) 駒田徳広、7(一) 中畑清、8(捕) 有田修三
1989年 1(右) 緒方耕一、2(遊) 川相昌弘、3(二) 篠塚利夫、4(左) 原辰徳、5(中) クロマティ、6(三) 岡崎郁、7(一) 駒田徳広、8(捕) 中尾孝義
1990年 1(二) 緒方耕一、2(遊) 川相昌弘、3(中) クロマティ、4(左) 原辰徳、5(右) 吉村禎章、6(三) 岡崎郁、7(一) 駒田徳広、8(捕) 村田真一
ですので、巨人ファンならずとも多くのプロ野球ファンなら知っている名前が並んでいるのでは無いでしょうか。
ちなみに、1989年に昭和から平成へと元号は変わり、1992年には星稜高校から松井秀喜選手がドラフト一位で入団、長嶋茂雄監督も指揮を執るようになりました。
ちょうど、1993年ごろから落合博満が中日よりFAで移籍、毎年のようにFA補強を繰り返す、長嶋野球を見るうちに、
「やっぱり巨人はダントツに強いチームでなければいけない」
と気持ちを強く持つようになり、長嶋茂雄愛、巨人愛が深まっていったような気がします。
巨人愛というより長嶋茂雄愛なのかも??
先程書かせて頂いたように、巨人愛はもちろんあるのですが、どちらかと言えば長嶋茂雄氏の事が好きでたまらないのかもしれない・・
You Tubeで長嶋茂雄氏の動画を見ても、やっぱりそうなんだ・・と思うところもたくさんあります。
それだけ、生で観た事もないですが、長嶋さんのプレースタイルや野球に対する真摯な姿勢、そして監督や解説者として活躍されている様子を見ていても、本当に尊敬してやまない方なんだなと思いました。
FA補強は話のネタにはもってこい
1990年代後半は、FA補強の連続で、メンバーの入れ替わりが激しい時代でした。
毎年のように四番候補を補強し、松井秀喜が四番になるのはいつだろう??とヤキモキもしたのですが、松井選手の場合は実力が飛び抜けていましたので・・
清原和博、江藤智・・と入団しても、四番センター松井の座は安泰でした。
しかし、そんな時に一人の「天才」が入団してくるのです・・
もうご存知だと思いますが、ウルフこと高橋由伸選手です。
松井選手も、引退後の高橋由伸選手との対談などやコメントなどで、ライバル視していた事が伺えましたし、長嶋茂雄監督も天才と呼んでいました。
しかし、松井選手と高橋選手で大きな違いがあったのが
「身体の強さ=怪我をしない身体」
だったというところです・・
残念なことに、高橋由伸選手は、身体能力が高かった事もあり、守備でも全力プレーを貫いた事で、怪我をする事も多く、無冠の帝王となってしまいました。
特に2年目の成績は衝撃的な数字で、怪我がなければ松井選手とタイトル争いをしていても、おかしくはなかった数字でした。
そんな松井選手と高橋選手を中心とした1990年代後半から2000年の頃の巨人が、私が一番好きだった巨人です。
と言いますのも、実は打線が好きだったというより、ある選手が猛烈に好きで、長嶋茂雄愛からとって変わってしまったほどの、猛烈にファンになった選手です。
その選手と言うのは・・実は、
上原浩治選手
なんです!!
この写真は、2018年に巨人に復帰した時の写真ですが、当時復帰した時は、本当に興奮しましたし、全盛期ではないにしても、クローザーを務めてほしい!と強く願ったほどです。
ちなみに、登場曲のサンドストーム(Sandostorm)
めちゃくちゃかっこよくないですか!
この曲が流れると、「今日は勝ったな!」って、同点でもビハインドでも思えるくらい、試合を忘れて登場を楽しんでいたような気がします。
上原浩治選手の話は、別の機会にするとして・・
2019年10月22日 追記
上原浩治選手の著書を購入しました
とりあえず私にとっては1980年代の巨人は?と聞かれると、幼少期から小学生で公に巨人ファンと語れなかった、複雑なファン心理の時代。
1990年前半は長嶋茂雄監督を迎える前で、往年の選手が全盛期を過ぎてきて、選手の入れ替えをしていく必要があった過渡期。
1990年代後半は長嶋茂雄監督のFA戦略、松井秀喜選手と高橋由伸選手、そして清原和博選手、上原浩治選手はじめ、私が一番好きだった頃の巨人。
だったという事が、振り返ってみて分かりました。
1990年後半の話から上原浩治選手の話、そして2000年のON対決と・・
このあたりの話は、また次の機会に書かせていただこうと思います。
最初のご挨拶書かせて頂いてます。
良かったら、一緒に読んで下さい。