1990年から2000年に向けて長嶋ジャイアンツから原ジャイアンツへと次世代の組織へと引き継がれていく、過渡期にありました。
1990年代以降は、落合博満が4番をつとめ、「4番1000日計画」と言われたように松井秀喜の育成、そして高橋由伸選手、上原浩治選手など、逆指名制度を存分に活かして、黄金期を築いていった時代の巨人。
当時10代後半の筆者ですが、ほんとに毎日の中継を楽しみにしていて、巨人だけにはやたらと詳しくなっていたような気もします・・笑
当時は、プロ野球全体の分析なんてする気にもならなかったですし、毎年どんな風に巨人が強くなるのか?長嶋さんがFA補強するのか??を楽しみにしていたくらい、批判されても何とも思いませんでした。
ミレニアム元年の巨人はON対決で幕を閉じる
2019年の日本シリーズ、ソフトバンクと巨人が19年ぶりに対決するという事で、19年前の2000年を引き合いに出される事が多かったのですが・・
実は、当時は福岡ダイエーホークスを率いていたのは王貞治監督、そして読売ジャイアンツを率いていたのが長嶋茂雄監督。
という事で「世紀のON対決」なんて呼ばれて、プロ野球界は大盛りあがりのシーズンでした。
結果は、4勝2敗で読売ジャイアンツの優勝、胴上げ投手は岡島秀樹投手が務めています。
ちなみにこの年の巨人ですが、シーズンの本塁打が20本以上打ったのが6人、「ミレニアム打線」と呼ばれた年でもあります。
そして、翌年の2001年に75勝63敗2分で若松スワローズに競り負け2位に終わり、長嶋監督は監督辞任、ヘッドコーチの原辰徳監督が監督を引き継ぐ事に。
この年には、槙原寛己、斎藤雅樹、村田真一の功労者3名が引退しており、阿部慎之助の台頭もあり、一つの時代の変化が起きた年でもあります。
そして、2002年より原巨人が誕生。この時に原さんの人気もあったし、優勝する事もできたので長期政権が続くであろう・・と思われたのですが、様々な事情により2年で解任・・涙
「青天の霹靂」という言葉が、本当に嫌いになったきっかけでもある、堀内政権の誕生・・・と時代は進むことになりますが・・・
その前に、2002年を少しだけ振り返りましょう。
2002年の巨人開幕スタメン
まず開幕スタメンですが、驚きがあったのが・・
- 左 二岡智宏
- 二 仁志敏久
- 右 高橋由伸
- 中 松井秀喜
- 一 清原和博
- 三 江藤智
- 捕 阿部慎之助
- 遊 元木大介
二岡がレフト・・・Σ(゚д゚lll)
元木選手は、守備は下手ではないですけど、二岡よりも上手なのか??個人的には衝撃的だったのですが、この序列から見ても、元木選手の方が原監督には評価が高かった・・
だから、今年も元木コーチが実績なしで選ばれたという事なのかな?そして二岡コーチは独立リーグの監督へ・・・(二岡選手は岡本和真選手を鍛えた実績もありますので、2020年に巨人コーチで復帰しますけどね・・)
という要らぬ邪推が入ります・・汗
ちなみに、2002年の巨人の主な成績ですが、
投手では
- 上原浩治 17勝で最多勝
- 桑田真澄 12勝で復活
- 高橋尚成 10勝
と二桁勝利は3人、工藤公康は9勝止まり、入来祐作選手は・・・消えました・・笑
そして岡島秀樹選手を中継ぎに配置転換し、先発要員だったガラスのエース河原純一投手を抑えに抜擢するという原マジック炸裂です。
次に野手ですが、
- 松井秀喜 50本107打点で二冠獲得
- 二岡智宏 24本
- 高橋由伸 17本
- 清水隆行 14本
- 阿部慎之助 18本
- 江藤智 18本
と、2000年と変わらない多くのスタメン選手が活躍しましたが、清原和博が怪我で大きく成績を落としたり、多くのスタメン選手が中堅を迎えてきました。
さらに、松井秀喜選手のヤンキース移籍・・
これがあまりにも痛かった・・痛すぎた・・・分かっていたとは言え、さすがに松井選手の穴を埋めるのは大変だし、何より心にぽかんと穴が空いたような気分でした。
そして、ここから巨人暗黒時代へと突入していくわけですが・・・
このまま一気に書き続けようと思ったのですが、急に心が病んできましたので笑、またの機会にしたいと思います。
ひとまず2002年までの巨人は、本当に輝いていて、私も20代前半を迎え、公私ともに未来を大きく描けるステップを踏んでいった時代だったという事まで。
ここで閉じたいと思います。
1990年代の巨人を筆者目線で